元警察官の柔術家で、プロ格闘家としてMMAに参戦している関根シュレック秀樹さん。
その異色の経歴や“シュレック”と呼ぶにふさわしい風貌が話題となっています。
今回はそんな関根シュレック秀樹さんにスポットを当てたいと思います。
関根シュレック秀樹のwiki風プロフィール
まずは関根シュレック秀樹さんのプロフィールをみてみましょう。
本名:関根 秀樹(せきね ひでき)
生年月日:1973年8月13日
身長:175㎝
体重:115㎏
出身:静岡県磐田市
学歴:山梨学院大学
山梨学院大学を卒業後、かつては地元・静岡県で警察官として働いていた関根シュレック秀樹さん。
格闘技のルーツはブラジリアン柔術で、ONE Championshipに出場していた実績もありますので、いわゆる片手間でやってきた格闘家とは全く違います。
事実、関根シュレック秀樹さんはプロ格闘家としての活動に専念するために警察官を退職して周囲を驚かせました。
体重は115㎏とヘビー級として十分な日本人離れした体格ではありますが、身長は175㎝ということですので、海外のヘビー級ファイターと比較するとリーチ面での不利は否めない感じです。
しかし、柔術家として確かなスキルを持ち合わせており、日本人ファイターの層が薄いヘビー級で何らかの起爆剤になるのではないかと期待されています。
関根シュレック秀樹の経歴!警察からなぜ格闘家に?
幼少期の大怪我がきっかけで格闘技を始める
関根シュレック秀樹さんは4際の頃に交通事故に遭い、右足がちぎれかけるほどの大怪我を負っています。
なんとか足の切断は免れ、一命は取り止めたものの、後遺症として右足を引きずって歩く生活になりました。
そんな関根シュレック秀樹さんの姿をみた小学校の上級生たちは、からかって関根シュレック秀樹さんの右足を蹴ってきたそうです。
子供とは残酷なものですね・・・。
そんな日々に嫌気がさした関根シュレック秀樹さんは、「人の不幸を笑いものにする奴らを許せない。復讐してやる」という気持ちで柔道をはじめました。
小学校から中学・高校と継続し、進学した山梨学院大学でも続けた柔道は、三段を取得するほどの実力者に。
シュレックさんが私と同じ小学校、中学校を卒業していて、私の姉にいたってはシュレックさんと小中高と同級生だったということが今年初めに判明しだのですが、今日シュレックさんに挨拶に行ったらこの写真貼っていいよと優しく言って頂けたので貼ります。写真は中3と高3と今日のシュレックさんです☺️ pic.twitter.com/OdMtwWo0HN
— 🐰まるちん🐰 (@maruchinmimi) February 6, 2020
このように柔道を継続してきた関根シュレック秀樹さんですが、柔道部の同級生の影響もあり、プロレスの大ファンになっったそうです。
プロレスの魅力に取り憑かれた関根シュレック秀樹さんは、自らもプロレスラーを志すほどまでになります。
当時、高田延彦さん率いるUWFインターナショナルが好きだったそうで、憧れの選手は外国人のトップ選手だったフェイリー・オブライト選手。
しかし、関根シュレック秀樹さんが大学4回生のときにUWFインターナショナルが解散し、夢を諦めて警察官になったそうです。
UWFインターナショナルさんは、警察官になったことを『泣く泣く入った』と語っています。目標の世界が突然消えてしまったことがよほどショックだったのでしょう。
荒れた警察官時代
1997年に静岡県警に入庁した関根シュレック秀樹さん。
自分の本意でない形で警察官となった関根シュレック秀樹さん、当初は警察官として仕事になかなか100%の力で向き合うことが難しかったようで
荒れてたし、警察官としては問題児でした。だから不良と呼ばれる子たちがヤケになったり、世の中をあきらめちゃうのも分かるんですよ。
とかなり荒んでいたようです。
入庁して3年後には機動隊へ異動となりますが、そこでは当時、警察という体育会系の縦社会独自の風潮が生んだ陰湿なイジメや嫌がらせがあったそうです。
元々、“泣く泣く入った”警察ですから、そこでブチギレて辞めてしまいそうなものですが、関根シュレック秀樹さんは無駄に上司に媚びることもなく続けた結果、周囲から認められ、可愛がられる存在になったそうです。
そんな折、これまでの成果が評価され、刑事部捜査第四課、通称“マル暴”と呼ばれる暴力団を取締る組織に配属されます。
よく警察とヤクザは紙一重なんて言われのは、マル暴の警察官がヤクザに負けず劣らずのイカツさがあるからですが、関根シュレック秀樹さんもパッと見は相当イカツイですよね(^^;
柔術との出会い
マル暴で仕事をしたあとは、外国人犯罪組織を取り締まる「国際捜査課」へ異動した関根シュレック秀樹さん。
当時の静岡県浜松市には日経ブラジル人が3万人以上住んでおり、ブラジル人窃盗団による犯罪が度々起きていました。
そんな外国人犯罪を撲滅することが関根シュレック秀樹さんの任務となりましたが、そのためには情報が必要です。
そこで、浜松のブラジル人コミュニティについて深く知るために日経ブラジル人が指導するブラジリアン柔術の道場「ボンサイ柔術」に入会します。
そこで指導していた人物というのが、格闘技イベント『RIZIN』で活躍中のホベルト・サトシ・ソウザ選手と兄のマルコス・ヨシオ・ソウザ選手でした。
この2人とファミリーのように仲良くなったこともあり、関根シュレック秀樹さんは捜査情報収集のためという名目ではじめた柔術に夢中になっていきます。
実際、入門1ヶ月で柔術の大会に出場するほどでした。
元々柔道三段の腕前ですので、センスはあったのかもしれませんね。
関根シュレック秀樹さんは道場に通いはじめて4ヶ月ほどでワールドプロフェッショナル柔術アジア大会優勝、その1年後にアラブで開催された世界大会で青白98キロ超級で優勝という、凄まじいスピードで結果を出して周囲を驚かせました。
37歳でMMAデビュー
関根シュレック秀樹さんは警察官として勤務しつつ、特別な許可を得て37歳MMAデビューを果たします。
当初はDEEPという格闘技団体で試合していた関根シュレック秀樹さんですが、43歳の2015年に転機が訪れます。
今最も勢いがあると言われているアジアの格闘技団体「ONE Championship」からヘビー級タイトルマッチのオファーが届きます。
相手はブランドン・ベラという選手で、当然チャンピオンですので強敵です。
ただ、このタイトルマッチに挑むには警察官の仕事を辞めなければならず、当初はオファーを断ったそうです。
しかし、
「自分の人生、このままで後悔はないのか?」
「いつも子供たちに夢を持つことの大切さを語っている自分が、タイトルマッチに挑戦しないことは恥ずかしいことではないのか?」
という思いから、なんと警察官を退職してプロ格闘家として生きていていく道を選びます。
このとき、進路について道場の指導者であるソウザ兄弟に相談した関根シュレック秀樹さんですが、彼らからはこんな素敵な返答が。
父のアジウソンから『人生は夢を追い続けないといけない。人生はチャレンジだ』といつも言われてきた。だからヒデキ(関根シュレック秀樹)がどちらを選んでも、オレたちは応援していくよ。
この言葉に背中を押され、関根シュレック秀樹さんは警察官を辞職。
ついにONEのヘビー級タイトルマッチにサインします。
このときの試合映像がこちら。
結果はKO負けでしたが、全てを捨てて夢に挑戦する姿は人々に感動を与えました。
ちなみに、あと2、3ヶ月警察官として仕事を続ければ、もらえる年金が満額に達したそうです。
年金が満額もらえるのとそうでないのには、金額にかなり差がある言われています。
にもかかわらず、 関根シュレック秀樹さんは「43歳の2、3ヶ月は大きい」と、年金の満額支給を捨ててまでタイトルマッチに懸けて練習に専念したそうです。
すごく勇気のいる決断ですよね。
僕なら多分、年金満額支給の期間まで働いてから辞めますね笑
関根シュレック秀樹、警察官時代の画像
最近ではワイルドなアフロ風ヘアーにMMAパンツのイメージがすっかり定着した関根シュレック秀樹さんですが、警察官時代はこんな風貌でした。
ザ・警察官って感じの真面目な雰囲気ですね。
当時は坊主頭でしたので、警察の帽子がよく似合います。
当時、静岡テレビ朝日で特集されたときの動画YouTubeにアップされていました。
警察官として勤務しながら週5日の練習をこなすというハード生活を送っていた関根シュレック秀樹さん。
警察官時代には補導した非行少年や暴走族の子たちに「夢を持つこと」の大切さを説いていたという関根シュレック秀樹さん。
「少年飲酒だったり暴走族の現場にパトカーで行って、そこで何度も話をするような少年もいるんです。そこで“夢を持たなきゃダメだよ”とか“勉強なんてできなくてもいいけど、手に職つけて自分のやりたいことをやってたら、必ず幸せになれるから”という話をして。」
RIZIN参戦発表の会見でもこのように語っています。
「警察官の時に補導、職務質問した少年たちに試合を見せたいです。“お前とよく話していた関根はこんだけ強いんだぞ”と」
残念ながらRIZIN初戦で勝利を飾ることはできませんでしたが、対戦相手のロッキー・マルティネスという屈強な外国人選手相手に臆することなく真っ向勝負を挑んだ姿は、警察官として接してきた子供達の目に焼きついているはずです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は格闘家・関根シュレック秀樹さんについて
- プロフィール
- 警察官から格闘家になった経歴
- 警察官時代の画像
を調べてみました。
今後の活躍にも注目ですね。
以上、最後まで読んで頂き、ありがとうございました(^^)