梓みちよの死因は?若い頃の画像やさんまにブチギレた放送事故とは

「こんにちは赤ちゃん」や「二人でお酒を」などの名曲で知られる歌手の梓みちよさんが76歳で亡くなったことがわかりました。

 

突然の訃報で悲しみの声が上がっているとともに、「昨年末まで元気だったのに信じられない」といった声も・・・。

そこで今回は、そんな名歌手だった梓みちよさんについて調べてみました。

梓みちよのプロフィール

まずは梓みちよさんのプロフィールをみていきましょう。

プロフィール
名前:梓みちよ
本名:林美千代
生年月日:1943年6月4日
血液型:O型
星座:ふたご座
出身:福岡県福岡市博多区
学歴:福岡女子学院中学校・高等学校1年修了、宝塚音楽学校中退
所属:アラベスク(プロダクション尾木と業務提携)
1960年代、70年代を代表する歌手のひとりです。
福岡県出身の梓みちよさんですが、宝塚音楽学校に進学後、中退して上京・デビューしています。
詳細については後ほど触れたいと思います。

梓みちよの死因は何?

所属事務所によると、出演番組の打ち合わせのために1月29日にマネージャーが梓みちよさんの自宅に訪れたところ、亡くなっているのを見つけたと言います。

 

何か病気を抱えていたのかと思ったのですが、「少し膝が悪い以外は病気一つなかった」そうで、昨年末も元気に仕事をこなしていたそうです。

 

死因は心不全とみられており、本当に急な不幸だったというわけですね・・・。

 

心不全というのはそれ自体が病名ではなく、全身に血液を送り出すポンプの役割を担う心臓の働きが不十分になった結果、それによって体の様々な部分に負担がかかり、支障をきたしている状態を言います。

最近、とくに高齢者で、収縮機能が保たれた心不全(拡張不全)が多いことがわかってきました。

血液を取り込む力が衰え、静脈や肺、心臓などに血液が溜まりやすくなってしまうもので、通常の検査では見つかりにくく、決め手となる治療法が限られるといった特徴があります。

また、高齢者の心不全では、こうした自覚症状がはっきりと現れにくく、息切れなどの症状があっても、「年のせいだから仕方ない」「体力が落ちただけ」と見過ごしてしまいがちです。

放置したまま重症化してしまい、夜中に呼吸困難を起こして救急車で運ばれてくる患者さんも少なくありません。

出典:公益財団法人 日本心臓財団

 

いくら梓みちよさんが若々しかったといっても76歳ですから、他の人から見ると元気に見えていても、上記のように自覚症状のないまま心臓機能が低下していたのかもしれませんね。

 

なお、葬儀については遺族の意思に基づき、2月2日に近親者のみで執り行っているということです。

梓みちよの歌や若い頃【画像】

数々の名曲で有名な梓みちよさんですが、若い人にはあまり馴染みがないかもしれません。

そこで、梓みちよさんの若い頃の画像を集めてみました。

宝塚音楽学校時代の幻の画像

まず、こちらは宝塚音楽学校時代の梓みちよさんです。

 

今となっては幻の写真とも言える1枚ですね。

梓みちよさんは宝塚音楽学校で声楽やバレエ、日本舞踊など音楽の英才教育を受けていました。

 

また、それだけに止まらずタップダンスの個人レッスンを受けるなど、貪欲に自分を磨いていたそうです。

そんな努力の甲斐もあり、80人ほどの同期の中でもトップクラスの成績だったといいます。

ボッサ・ノバでキッスでデビュー

そして、宝塚音楽学校に在籍中、渡辺プロダクションの社長に出会い、歌手デビューが決定。わずか1年半で中退することになりました。

 

梓みちよさんにとってまさにここが人生のターニングポイント。

約1年間のレッスンを受けた後、1962年に「ボッサ・ノバでキッス」でデビューします。

 

ちなみに、キャッチフレーズは「ボサノバ娘」だったそうです。

19歳当時「こんにちは赤ちゃん」がメガヒット

1963年、「夢で会いましょう」の今月の歌として発表された「こんにちは赤ちゃん」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)が大ヒットし、その年の第5回日本レコード大賞を受賞します。

さらに、NHK紅白歌合戦にも出場し、時の人となりました。

30歳当時「二人でお酒を」が大ヒット

1974年にリリースした「二人でお酒を」(作詞:山上路夫、作曲:平尾昌晃)が大ヒット。

当時、「こんにちは赤ちゃん」の大ヒットから11年が過ぎていたものの、梓みちよさんはすっかりこの歌のイメージが定着してしまっていたことから「いつになったらこの歌から抜けられるのか」と悩んでいたそうです。

そんな中、「自分を解放してくれる歌」を望んでいたところ、この歌が彼女の新境地を開くことになりました。

梓みちよさん自身、「お酒が好きな自分にぴったりで嬉しかった」とこの歌を気に入ったそうです。

その他の梓みちよさんが若い頃の画像

他にも梓みちよさんの若い頃の画像を紹介します。

梓みちよ、さんまのまんま出演時にシャンパンぶっかけ

梓みちよさんが明石家さんまのテレビ番組「さんまのまんま」に出演した際の話です。

 

梓みちよさんのことが好きだというさんまが彼女の名曲である「二人でお酒を」や「メランコリー」のタイトルを思い出せないでいると

 

「好きだったら思い出せるはず」

 

とシャンパンをぶっかけるという放送事故級の回がありました。

 

しかも、1回ではなく収録中に5回もシャンパンをぶっかけたそうです(笑)

 

さすがに視聴者から苦情が殺到したようで、ちょうどこの頃から梓みちよさんのテレビ露出が減ったこともあり、この騒動が原因で干されたのではないかとの噂も流れました。

 

 

後に、梓みちよさんがさんまに謝罪したこともあり、和解。

以後はさんまのまんまの過去シーンを振り返る回でも使われ、ネタになっていました。

 

ちなみに、その時期にテレビ露出が減った理由は、干されたのではなくディナーショーの繁忙期だったからということです。

梓みちよは和田アキ子をいじめていた?

和田アキ子さんは以前、自分が新人だった頃に先輩歌手からいじめられていたと明かしています。

 

名前こそ出しませんでしたが、ネットでは「いじめていたのは梓みちよでは?」と噂になりました。

 

ただ、あくまで憶測の域を出ないものであり、噂された理由としては

 

  • 共演が少ない
  • 先輩歌手として何人か名前が上がった中の一人
  • 和田アキ子に負けない気の強さ

 

といった程度のものです。

 

まぁ、気が強いのはさんまにシャンパンをぶっかけたことからも明らかですよね(^^;)

この「和田アキ子いじめ疑惑」は本当にただの噂レベルです。

梓みちよは東尾修と不倫していた?

梓みちよさんは1971年に俳優の和田浩治と結婚しましたが、翌1972年には離婚しています。

 

離婚後は元夫のことを「せいぜい同棲までの男だった」と侮辱したことで、和田浩治も反論。

結局は泥沼の離婚劇のとなりました。

 

その後、梓みちよさんは元プロ野球選手で球界きってのモテ男だった東尾修さんとの交際が報じられます。

 

東尾修さんは妻子がいましたので、交際が事実であれば当然不倫となりますが、東尾修さんは終始ノーコメントを貫きます。

 

一方で梓みちよさんは東尾修さんとのことを聞かれると「大人の関係」と不倫を認めるかのような大胆な発言で世間に衝撃を与えました。

 

デビュー当初は清純派というイメージで売っていた梓みちよさんですが、10代で飲酒や喫煙を行うなど、本当の姿は世間のイメージとは真逆でした。

 

そのギャップに悩んでいた彼女にとって、このような破天荒な言動は、遅くして自分らしさを解放できた証だったのかもしれませんね。

 

ちなみに、東尾修さんの奥さんは二人の関係についてあまり追求はせず、ひたすら耐えて旦那が帰ってくるのを待ってました。

 

そんな母の姿を見かねた娘の東尾理子さん(現・石田純一さんの奥さん)が、梓みちよさんの家に、

 

「お父さんを返してください!」

 

と殴り込みをかけたそうです。

 

そんなこともあり、それ以降は2人が会う頻度は減っていったとのことです。

東尾理子さんもなかなか根性のある女性ですね(^^;)

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、梓みちよさんの

 

  • プロフィール
  • 亡くなった原因
  • 歌や若い頃
  • さんまにシャンパンをぶっかけた事件
  • 和田アキ子いじめ疑惑
  • 東尾修と不倫

 

について書いてみました。

 

梓みちよさんの歌声がもう聴けないのは本当に残念でなりません。

心よりご冥福をお祈りいたします。

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