NBAのスーパースターで、マイケル・ジョーダンと並んで史上最高の選手のひとりとまで言われたコービー・ブライアント氏の訃報が届きました。

 

ヘリコプターでの墜落事故で、同乗していた13歳の次女・ジアンナちゃんも含めて乗員全員が亡くなったということですが、本当にショックですね。

 

僕自身が子供の頃はバスケ少年だったこともあり、コービーは憧れの選手でした。

 

そこで今回は、墜落事故の原因、同乗していた次女のジアンナちゃんについて、伝説となった引退試合でのことについてお伝えしたいと思います。

コービー・ブライアントの墜落事故の原因は何?

コービー氏は26日、カリフォルニア州ロサンゼルス郊外のカラバサスでヘリコプターの墜落事故により逝去しました。41歳という若さです。

 

ヘリコプターが墜落したのは現地時間午前10時頃(日本時間午前5時)とされています。

墜落事故の原因

今から司法解剖などで詳細な原因分析が行われていくかと思われますが、当日のロサンゼルス一帯は非常に霧が濃く、悪天候が事故の原因だったのではないかと言われています。

ロサンゼルス警察によると

午前中は天候条件が飛行の最低基準に達しなかったため、警察のヘリコプターは地上待機を命じられていた

とのことです。

 

警察のヘリコプターでさえ飛行が許可されていない程の濃霧であれば、このような痛ましい事故が起こっても何ら不思議ではないのかもしれませんね・・・。

 

一方で、何らかの機体トラブルが起きたという可能性も否定できません。

 

と言うのも、「エンジンは変な音をして、すごく低空を飛行していた」という目撃者の証言が出ています。

 

濃霧に加えて機体トラブルまでとなると、プロパイロットでも対処するのは簡単ではないでしょう。

 

さらに目撃者は「ヘリは深い霧の中に突っ込んででてこられなかった。直後に爆発音がし、大きな火の玉が見えた。あれでは、誰も助からない」という、悲惨な状況を物語る証言までしています。

 

事故直後の画像を見ても、状況の酷さが一目でわかりますね。

 

また、これはあくまで憶測ではありますが、墜落したヘリコプターをコービー氏自身が操縦していたのではないか?という情報も出ているようです。

 

こちらのツイートはすぐに削除されており、真偽の程は不明です。

ただ、コービー氏は長年に渡って自らヘリを操縦して旅をするなどしており、個人でヘリも所有しています。

 

さすがはNBAのスーパースターだけあって、桁違いのセレブです。

 

ロサンゼルス南部のオレンジ郡に住んでいたコービー氏は、現役時代からロサンゼルスの渋滞を避けるためにヘリを多用しており、空路で通勤していたといいます。

 

事故当日も、13歳の次女ジアンナさんとバスケットボールの練習に向かう途中だったと報じられいます。

 

長年ヘリによる移動を日常としているコービー氏にとって、まさか当日こんなことが起きるなんて思ってもいなかったでしょうね。

墜落事故直後の動画

現地にいる人がコービー氏が乗っていたヘリが墜落した現場の動画を撮影していました。

コービー・ブライアントと次女・ジアンナの関係

コービー氏と同乗していて亡くなった13歳の娘・ジアンナちゃん。

実は、コービー氏はジアンナちゃんが所属するバスケットボールチームのコーチを務めており、彼のDNAを受け継ぐ愛娘の指導に熱を注いでいました。

 

ジアンナちゃん自身も将来はプロバスケットボールリーグのWNBA選手になることを熱望しており、父娘の2人三脚でバスケットボールの練習に励む毎日だったようです。

 

コービー氏の子煩悩ぶりは有名で、二の腕に娘の名前のタトゥーを入れるほど家族に強い愛情を注いでいました。

もちろん、妻のヴァネッサさんの名前も入っています。

ジアンナちゃんに関するこんなエピソードがあります。

 

コービー氏は息子がいないのですが、あるファンがコービー氏にこんな言葉をかけてきました。

 

「あなたのバスケットボールの才能を受け継がせるためにも、息子をつくった方がいい」

 

そうすると、ジアンナちゃんが

 

「大丈夫、私がいるから!」

 

と返したそうです。

 

愛娘の頼もしい発言を聞いたコービー氏はさぞ嬉しかったでしょうね。

 

ジアンナの強気な発言は口だけではなく、彼女が実際にプレイする動画を見ると、13歳にして卓越したテクニックを持っていることが分かります。

ジアンナちゃんが見事に決めているこのバックステップスリーショットは、父であるコービー氏の現役時代を彷彿とさせるもので、コービー氏の才能が確実に受け継がれていることが分かりますね。

コービー・ブライアントの引退試合と引退スピーチが伝説に

NBAの歴史に刻まれた伝説的パフォーマンス

2016年4月13日にコービー氏の引退試合が行われましたが、この試合はNBAに歴史を刻んだ伝説のパフォーマンスとなりました。

 

場所はコービー氏の所属チームであるロサンゼルス・レイカーズのホーム、ステイプルセンター。

対戦チームはユタ・ジャズでした。

 

コービー氏はこれまで

 

  • NBA制覇は3連覇と2連覇を含む5回
  • ファイナルMVPは2年連続受賞
  • シーズンMVP1回
  • オールスターMVP4回
  • 得点王2回
  • オリンピックでは金メダルを2つ獲得

 

といった輝かしい成績を残しており、全盛期には1試合81得点や4試合連続50得点越えなど、超人的なパフォーマンスを見せていました。

 

バスケットボールの神様として知られる元シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダン氏とは度々比較され、「神に最も近づいた男」とさえ言われています。

 

しかし、キャリア晩年はアキレス腱断裂を含む幾多の怪我に苦しみ、その肉体には相当なダメージが蓄積されていました。

 

そんなコービー氏が迎えた最後の試合。

彼は引退試合で60得点という信じられない数字を残してコートを去りました。

 

サンアントニオ・スパーズのデマー・デローザンという選手によれば、コービー氏は引退試合の後、車まで歩くことすらできなかったそうです。

 

それほどまで1試合に全てを出し尽くすことができる爆発力は、やはりコービー氏が間違いなく唯一無二の選手だったということを物語っています。

 

実際の引退試合でのパフォーマンスはこちらです。

引退試合後のスピーチ

試合が終了し、コート中が熱狂の渦に包まれる中、コービー氏の引退スピーチが行われました。

何よりも重要だったのは、キャリアを通じて僕たち全員が一丸となれたこと。
皆さんは僕の心に常にい続ける存在です。

心から、本当に感謝しています。
心の底から、ありがとうと言わせてください。
愛しています。

この20年間、いつだってチームメイトから『自分にパスを出せ』と強く言われてきたのに今夜は、『パスを出すな』と言われて、まいってしまったよ。

ほかに何を言えばいいかな?Mamba out!!(マンバは去ります!)

 

このように、ファンや関係者へ向けて感謝の言葉を口にしたコービー氏。

 

ちなみに、Mamba(マンバ)とはコービー氏のニックネーム。

ブラックマンバのような攻撃的なオフェンス、相手の動き・良さを一瞬で消すディフェンスに由来すると言われています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

今回は、

 

  • コービー・ブライアント氏の墜落事故の原因
  • 同乗してた次女・ジアンナちゃん
  • 伝説となった引退試合や引退スピーチ

 

についてお伝えしました。

 

コービー・ブライアント氏の訃報はいまだに信じられないくらいショックなことですが、彼が残した功績は永遠に色褪せることはありません。

 

コービー氏、愛娘のジアンナちゃん、その他の同乗者の方のご冥福を心よりお祈りいたします。

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