郷原洋行騎手の死因は?プロフィールや若い頃の画像・実績を紹介!

昭和から平成初期にかけて、日本競馬のトップジョッキーとして活躍した郷原洋行さんが1月31日に亡くなっていたことがわかりました。76歳でした。

また一人名騎手がいなくなったと思うと、本当に残念です。

今回は、往年の競馬シーンを圧巻した郷原洋行さんを偲び、亡くなった原因や彼の実績などを調べてみました。

郷原洋行のプロフィール

まず、郷原洋行さんのプロフィールをみていきましょう。

プロフィール
名前:郷原 洋行(ごうはら ひろゆき)
生年月日:1994年1月21日
出身:鹿児島県鹿児島市
ニックネーム:剛腕
職業:元騎手、元調教師
初免許年:1962年
騎手引退日:1993年
調教師初免許年:1993年
調教師引退日:2011年2月28日
通算成績(騎手):11906戦1515勝
所属:美浦トレーニングセンター
鹿児島県の農家に五人兄弟の次男として生まれた郷原洋行さん。
幼少期から農耕馬に乗っていたため、馬には慣れ親しみながら育ったんですね。

 

中学時代はマラソンに惹かれた時期もあったそうですが、日本中央競馬会の騎手講習生募集の広告を見て騎手になることを志します。

 

幼いころから馬とともに育った郷原洋行さんにとって、騎手の道は運命だったのかもしれませんね。

 

中学卒業の1959年、馬事公苑騎手養成長期過程に入所し、修了後の1961年から騎手候補生として中山・大久保房松厩舎に入門し1962年3月に騎手デビューしました。

 

郷原洋行さんと言えば、「剛腕」というニックネームがつくほど力強く馬を追う姿が特徴ですね。
また、G1級の勝利は全て牡馬であることからも、そのようなイメージがついたと言われています。

 

郷原洋行さんと同じく往年の名手である故・野平祐二騎手は、郷原さんについて「馬を追えることにかけては日本競馬史上最も秀でた騎手」と最大級の賛辞を送っていました。

 

ただ、「剛腕」と聞くと荒っぽい乗り方をするイメージが沸きがちですが、言葉のイメージとは裏腹に郷原さんの騎乗はスマートなものだと言われています。

 

先行抜け出しのレース展開を好み、リスクを抑えてフェアな騎乗を身上としていました。

 

郷原さんは馬を追う際に大切なこととして、「空気抵抗を避ける、ハミを固定する、馬の動きを妨げない」ということを信条にしていました。

 

非常に合理的な騎乗スタイルだったんですね。
※ハミとは馬の口に含ませる金属製の馬具で、ハミと手綱を繋げて引っ張ったり押したりすることで、騎手と馬との意思疎通を図るものです。

郷原洋行の実績や若い頃

郷原さんは当時歴代4位となる1515勝を挙げており、G1級10勝という功績を残して93年に引退。

 

騎手引退後は調教師として中山グランドジャンプを連破したゴーカイを育てるなどの功績を残しています。

 

そして、調教師引退後、2014には長年の功績から競馬の殿堂入りを果たすという、まさに全ジョッキーの憧れの王道というべき道を歩んできました。

郷原洋行の主な実績

郷原洋行さんの主な実績を若い頃の画像を交えながら振り返りたいと思います。

 

  • 日本ダービー(1980年オペックホース、1989年ウィナーズサークル)
  • 皐月賞(1967年リユウズキ)
  • 菊花賞(1977年プレストウコウ)
  • 天皇賞・春(1975年イチフジイサミ、1979年カシュウチカラ
  • 天皇賞・秋(1979年スリージャイアンツ、1987年ニッポーテイオー
  • 安田記念(1988年ニッポーテイオー)
  • マイルチャンピオンS(1987年ニッポーテイオー)

()内は勝利年数と騎乗馬

 

重賞83勝という輝かしい実績です。

郷原洋行の若い頃の写真

郷原洋行さんが現役の頃の写真を中心に、懐かしい時代を振り返りたいと思います。

 

1980年にオペックホースに騎乗してダービーを制しました。

 

剛腕と称される迫力満点の郷原洋行さんの馬追いです。

 

現役時代の凛々しい姿ですね。

 

1988年にニッポーテイオーと安田記念を制します。

 

1989年、ウィナーズサークルに騎乗して2度目のダービー制覇です。

 

こちらは調教師転向後、手塩にかけて育てたゴーカイが第2回中山グランドJ・G1、初の障害国際競走で初代チャンピオンに輝いたときの写真です。

騎乗していたのは横山義行騎手でした。

郷原洋行の死因は?

ニュースによると、郷原洋行さんは「病気のため亡くなった」としか報じられていません。

一体何が原因で亡くなってしまったのでしょうか。

 

郷原洋行さんは調教師を引退した後も評論活動などを行うなど競馬と関わっていましたが、近年では体調を崩して入退院を繰り返していたと言われています。

 

実は、郷原洋行さんは20代後半から通風を発症していたそうです。

その症状はかなり強く出ていたそうで、

朝起きて、靴下を履くのに30分もかかる。「何しろ痛い。真面目な話、騎手生活も半分諦めた」

出典:デイリー

という発言が出るほど。

 

それでも、「剛腕」という異名に恥じない強い意志と精神力で病気に向き合い、数々の功績を残してきました。

「痛風を一生連れ添う友達だと考えて節制した。(東京の)虎ノ門にある病院の先生と真剣に話し合って、痛風のメカニズムと、食事や運動で自分の体をどうコントロールすればいいかを教わった」

出典:デイリー

郷原さんが向き合ってきた通風というのは、尿酸値が高いことで引き起こされます。

この尿酸値が高いと、通風になるだけでなく、他にも色々なリスクが高まるそうです。

    実は最近、尿酸値が高いだけで死亡率が上がる事が分かってきました。尿酸値の高い状態では全身の血管に炎症を起こします。

    その結果、血管が広がりにくくなり血圧が下がりにくくなります。すなわち、高血圧を引き起こしやすくなるのです。

    また、筋肉の血流が悪くなる結果、糖尿病や高インスリン血症も発生しやすくなることが分かっています。

    出典:新潟県立坂町病院

    さらに、腎臓にもリスクがあるということです。

    高尿酸血症は腎臓病も発症しやすくします。尿酸は腎臓からしか排泄できません。腎臓では尿酸が濃縮されて結晶ができやすいのです。

    結晶が成長し、はがれて尿中をただようと尿管結石として激痛を起こします。はがれなくても腎臓のあちらこちらで結晶ができる結果、尿が流れにくくなり腎臓はどんどん弱っていきます。

    知らないうちに腎臓障害が発生し、気づいたら透析が必要な状態だったということもあります。

    出典:新潟県立坂町病院

    郷原洋行さんが糖尿病に侵されていた、人工透析を行っていたというオフィシャルな発表はないようですが、高リスクな持病を抱えていたということは事実のようですね。

    まとめ

    いかがでしたでしょうか?

    往年の名ジョッキーとして日本競馬の歴史に名を刻んだ郷原洋行さん。

     

    今回はそんな郷原さんの

     

    • プロフィール
    • 実績
    • 若い頃の写真
    • 亡くなった原因

     

    について調べてみました。

    郷原洋行さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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